「ザ・タイガースグループ」
沢田さんと出会う
それから、私が20代を過ぎたころ、ちょっとした運命の出会いというのか、ある職場の中で沢田さんという二歳年上の女性に出会いました。沢田さんというその彼女は、職柄デザイナーをしたこともあって、見るからに顔の化粧は濃いし服装はかなり派手でした。聞いたところによると買い物するとなれば何万円もするような服を毎日買いあさる位の人物でありました。
玄関にある呼び出しホーンのボタンを押したら、呼び出しホーンから・・どなたですかと、お母さんらしい人の声が出てきたのですが、いつも研二のファンの方が来ていて、お断りしているんですけど、何か御用ようですか?と聞かれたので彼女は是非家の方とお会いしたいんです・・・と幾度も言いかけたので、その家の方は、あなたは何方ですかと聞かれて、はい!私は沢田と申します。と言ったら、同じ名前だったものですから、その家の方は少々驚いたそうです。
沢田研二の母親の死
後ほど数日経ってから、また二度三度尋ねて行ったのですが、あいにく沢田研二の家の人と会うこうとが出来ませんでした。
もう尋ねるをやめてから一ヶ月ぐらい経ってからの事ですが、彼女は、ある週刊雑誌を買って見たところ、沢田研二のお母さんが、亡くなられている記事が書かれていました。
記事の中に亡くなられたお母さんの写真が載っていました。
彼女は、その写真を見てびっくりしたそうです。それは、以前亡くなられた、彼女のお姉さんと沢田研二のお母さんの顔がそっくりだったからです。
彼女は、仕事により上京してから、今は殆んど逢うことなく数十年経ています。どこにいるんだろうか、色々と話をしたかったのに。でも、こんどは別の沢田さんと知りあう事になりました。
沢田さんは、自分のことをユリと呼んでいました。本名ではありませんでしたが、ユリの名前の方が何故か気に言っていたそうです。沢田さんと言う女性は男勝りで男と同じぐらい仕事もし、沢山の人脈を持ち、見るからにキャリアウーマン的な存在です。だから、私達のような男に対しても呼び捨てで呼ぶのです。このような女性であるためか、なかなか恋人の出来ない可愛いげのない女性でした。
(姉)マサ子の死
私とアウグスティヌスの霊
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